炊き出しに参加して
梅 沢 哲 子
阪神・淡路大震災の悲惨な様子は、テレビ・新聞などでずいぶん見ましたが、ボランティアに参加して
現地で見た全・半壊家屋、焼け跡などの生々しい光景は、あらためて地震の恐ろしさを今でも思い起こ
し、いつ大きな余震があるかと思うと怖くて、服を着たまま床に入り貴重品は何時でも持ち出せるようそ
ばに置いたままの非常事体制の生活を続けています。
魚住ライオンズクラブが被災地でボランティア活動をしていることをお聞きし、同クラブにお勤めの橘さん
に「参加させていただきたい。」と言ったところ、四回目にお声がかかり、2月11日に須磨区太田中学校、
大黒小学校、区役所前へ行かせていただきました。
当日、学生の方も含めて総勢六十人、それぞれ車に分乗して目的地へ向いました。
学校に着くと、最初の車から五升炊きの炊飯器五台をはじめ、カレーライスとうどん各3千食を作る道具類
が運び出され、手際よく設置される様子はただただびっくりするばかりです。
僅かの間に用意が整いました。
私たちのまわりをふと見ると、それはそれは長い長い行列ができていました。
『おまたせいたしました。うどんとカレーの用意が出来ました。一度にお渡しできませんので少しの時間
待ってくださいね』と大声で言うと『待つくらいはいいよ』『うどんの葱のよい匂いがする、懐かしい』『暖か
いうどんと、カレーライスを食べられるのが嬉しいのんや、待つよ』口々にいう声が飛び込んでくる。
『家族の数だけ頂けますか』と問う方もある、『はい、よろしいよ』と返事する。
あっという間に五升のご飯が四分くらいでなくなったのは驚きです。再び次の準備が始まります。三人前、
五人前、八人前と避難所へ出前にも行きました。
皆さん頑張ってくださいね。
被災地をあとに帰着したのは午後九時ごろでした。 |
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思い願う
柳本 久美
兵庫県南部地震で、多くの尊い命が失われ、大きな被害を受け、無残にも全ての財産をなくされた
被災者の方々の悲しみを思うとき、心よりおくやみ申し上げずにはいれません。
戦後五十年という節目にあたる今日。
一家団欒の楽しい生活も、あっと言う間に潰され、焼け落ちて、車の中での生活・・・
全壊の家、傾いた家、崩れ落ちた屋根、テント生活・・・・
愛しい親子、兄弟、姉妹との悲しい別れ・・・・
残されたご遺族の悲しみ、無念さはいかばかりか・・・・
この方々に、一日も早く復興復活の日が訪れることを、願い祈らずにはおれません。
魚住ライオンズクラブの皆さんが、一生懸命黙々とボランティア活動を続けられ、頑張っておられる
姿を見るにつけ、頭が下がります。
”心こそ大切なれ!”
ライオンズクラブの皆さんの”その心”に眩しさを感じます。
明石も被災地ですが、我が身をいとわず、わが家を顧みず、懸命の真心の尊き献身的な姿に胸打
たれます。
希望という字を、どうか忘れず、被災者の皆様に幸福感を少しでももたらして戴きたいと思います。
微力ながら、わたくしどもも、お役に立てればと思っております。
最後に今一度、一日も早い復興と、安定生活と、ご健康を心より願い、お祈り申し上げます。 |
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自然体
クリーンテックス・ジャパン
宋 寿姫
「今度の週末に炊き出しのお手伝いに行かないか。」と、会社で誘いを受けた。
震災以後”何か自分に出来ることはないか”と考えていた私は”炊き出し”という言葉自体に、馴染みもな
かったし、自分にどこまで何ができるか、皆目見当がつかなかったけれど、見慣れた町並みがどんな風
になってしまったのか見ておきたい気もして、参加することに決めた。
一回目に参加した避難所の太田中学校に着くと、お天気のよかったその日は、中学校の校舎の窓から、
布団が干されていた。
周辺の家々は軒並み崩れたり燃えたりして、まともに建っているのは、まだ新しい、しかも鉄筋の家ぐら
いで、木造の古い建物は無残な様相を呈していた。
テレビで見る被災地と実際に自分の目で見るのとではその残酷さの伝わり方は全然違い、軽い気持ち
で参加したつもりはもちろんなかったけれども、ただただ絶句であった。
手際のよい皆さんを見様見真似でうどん作りの準備をしている間にも、どんどん人の列は長くなっていた。
うどんやカレーを手にした人達の顔は、老人から子供まで皆、一様に嬉しそうであった。
ただ、校庭のこの炊き出し場所まで歩いてくることのできる人ばかりではなく、動けない老人もいらっしゃ
るようであった。
ほんの一日、しかもわずか数時間のお手伝いであったが、色々なことを考えさせられた。
日本ではボランティアという言葉に定訳がないと言われる。
それは日本人にボランティアという概念が根付きにくく、その精神も広まっていないからだという。
しかし今回、この炊き出しに参加したことで、それは違うような気がした。
ボランティアと言うのは、なにも『特別なことをするこではない』し、『困難な状況にいる人を見れば手を差し
伸べてあげる』という、ただそれだけの、言ってみれば人間の自然な行動であるのだと思う。
私の場合、たまたま神戸市の中でも西に住んでいたから、幸運にも何の被害もなく震災以前の生活と変
わりない毎日を送ることができているが、それは本当にただ、運がよかっただけである。
被災地の人々を見て、とても人事だとは言っていられない。 被災地の復興はまだまだこれからである。
これからも今回のような炊き出しに参加したり、その他に自分の力量内でできる無理のない、復興への
お手伝いを続けて行きたいと思う。
中学校の校庭に古い大木が数本あった。
周辺の家々が崩れているのと対照的にどっしりと植わっているその木を見て、人間の造くったものがいか
に脆いか、自然は力強いか痛感した。
また、冬枯れしている木の枝に小さな堅い新芽を見つけて、きっとまたこの街神戸にも春が来て、賑わう
日が来ると、確信した。 |
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炊き出しボランティア
クリーンテックス・ジャパン
松田和樹
「炊き出しボランティア」私にとって初めてであり、ほとんどの人もそうであろう。
阪神淡路大震災がなければ、今回の炊き出しに参加することもなく、 ボランティアと言うものに対しても
無関心であったであろうと思います。
私の住む西区西神は、あまり地震の影響を受けていませんでしたので、実際に炊き出しの予定されて
いる県立兵庫高校に行く道中で、変わり果てた町の姿に思わず目を疑いました。
兵庫高校でも、ヒビの入った校舎、あちこち陥没してヒビの入ったグランドと、かなり影響を受けている様
子でした。
炊き出し準備のために校舎に入ると、玄関ロビーや階段にも、布団が敷かれており、避難生活の現実
を見せつけられました。
テレビでは、救援物資が豊富にある様に報じられていましたが、実際には、十分に行き届いておらず、
衣類などが不足している様子でした。
食事のほうも、暖かい食事に有り付けないようで、私たちが準備を始めている頃から長い列ができてしま
い、炊き出しを配り始めてもなかなか人々の列が減らず、いそがしく時間が過ぎて行きました。
兵庫高校より移動し次に行った所は、須磨区役所前でしたが、ここではシートでテントを作り、倒壊した
家の材木で焚き火をし、寒さをしのぐ光景を目にしました。
やはりここでも暖かい食べ物は歓迎され、大勢の人が並んで食べてくれました。
この状況は、震災から約二カ月たった現在も変わっておらず、未だに不自由な生活をしている人々が大
勢いるのです。
私は今回の炊き出しに参加し、大地震の被害の大きさを実際に目にして、今後もこういった活動を行う
べきだと、痛感致しました。 |
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炊き出しボランティアに参加して
クリーンテックス・ジャパン梶@
湊 和裕
平成七年一月十七日、隣で寝ている娘が、いつになく五時頃トイレに起きたので私も一度目を覚まし、
再びウトウトし始めた矢先、天地がひっくり返るようなこれまでに経験したことの無い大きな揺れがわが
家を襲った。
その時私は激しい揺れの為立ち上がることすら出来ず、ただ娘の体を抱き込んでやることしか出来な
かった。 幸い我が家は屋根瓦が落ち、車が傷ついた程度で家族全員が怪我も無く無事だった。
また会社も、社屋の至る所にヒビ割れが生じていたが、一週間後には生産を再開することが出来た。
しかし、テレビで見る被災地の惨状は何とも言えない状態で、特に私が生まれ育った東灘区本山は
見る影もなくショッキングな映像ばかりだった。
また、映し出される被災された方々の痛々しい姿、不自由な生活の様子を目にするたびに胸が詰まり、
何か私にも被災者の皆さんのお役に立つことが出来ないかと言う思いが日に日に強くなって行った。
社内でも社長を筆頭にボランティア活動の気運が高まり、会社として”まず何かをやってみよう”というこ
とになった。
そんなおり、社長のご友人、橋本食飯の橋本社長が魚住ライオンズクラブで炊き出しを行っておられる
ことを知り参加させて頂くことになった。
二月十日、いよいよ当日、クリーンテックスから約二十名が参加。私自身も不安を抱きながら資材を乗
せたトラックを運転し当日の目的地・太田中学へ到着。
最初はライオンズの皆さんのお邪魔にならないよう、少し下がって皆さんの仕事ぶりを見学させて頂き、
後半は炊飯を担当させて頂いた。
普段はデスクワークが多く余り立ち仕事をしていない私は、日が暮れる頃には疲れもピークに達してい
たが、被災者のかたがたが次々と訪れ五升ものご飯が見る見るうちになくなる光景と、自己満足かも知
れないが私も会社に貢献できたという充実感からか一日がとても短く感じた。
翌週の十九日はクリーンテックス主催でライオンズの皆さんに協力頂く(実際はライオンズの皆さんが
メイン)という形で兵庫高校にて同様の炊き出しを実施。
当社からの参加も約三十五名と前回の約二倍となった。
社内でもこの二回の経験によりボランティアの気運が高まり、今後も自分達が出来ることを継続して行
うことが決まった。
これまで両親を始め多くの人から「感謝の心を忘れてはいけない」と云われそれも大切なことだが、私
はこれらの体験から「感謝される喜び」も人間として大切なことだと改めて感じた次第である。 |
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