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    いつか何処かで
                             井 上 桂 子
 1月17日5時46分15秒と言う数字を忘れることができない、恐ろしい阪神淡路大震災でした。 

一年前のサンフランシスコ地震と同じ日。

 これは、ただ偶然というだけでいいのか、不思議な気がしてならなかった。

 この日、わたしは主人と一緒に神戸でこの地震を体験しました。

椅子に座っていたわたしは宙に浮いたとたん「ゴードーン」と横揺れに変わり、手にした柱はアメの

ように撓み、一瞬「何が起こったのか、死ぬんじゃないか、主人は?」揺れの中、体は硬直したまま

でした。机の下に引っ張ってもらった後は、今度は震えが止まらず、怖くて涙があふれ、じっと収ま

るのを待っているだけでした。

 とりあえず帰ろうと表に出ると又大きく揺れ、車に乗っても涙が止まりません。

 地震の瞬間、側に主人がいてくれたから大丈夫だったことに感謝で一杯でした。

 真っ暗の中鳴り響く警報機の音、人々はパジャマ姿に毛布を被りただ呆然とたたずみ、倒壊した家、

垂れ下がった電線、信号もダメ、火の粉が舞い、道路はまっすぐ走れず、とっても不気味な感じがしま

した。家に近づくにつれ神戸市内とはまったく景色が違うのに驚き、わが家がまっすぐ建っていたので

ほっとしました。

 後片付けをしながらテレビに映る惨状に気持ちも落ち着かず、三日間は何をしていいのか分からな

かった。

 でも、主人に「何か出来ることはないかしら」と話したら「ライオンズで炊き出しが決まった」と聞かされ

参加出来ることになり嬉しかった。

 私は4回吹き出しに参加されてもらいましたが、それぞれに経験出来ない事を経験させていただき、

数々の思い出をいただきました。

 美味しそうに食べていただいている姿や、頭を深々と何度も下げられ『おいしかった』『温かいものを

食べなかったので生き返った気がします。ありがとう』と言ってくださる声を聞いたり、大きな被害を受

けられているのに明るい姿を見せていただいた時は、何とも言えないくらい嬉しかった。

 須磨区役所前での吹き出しで、うどんを食べている母と三人の子供達に出会った時のことですが、

そのほのぼのとした不陰気に引き寄せられるように側に行き、ポケッとに入っていたお菓子とジュース

をあげると、とってもいい顔で『ありがとう』って元気な声、いろんな話をした中で感じたその家族の素直

な性格と明るさから《きっと、素敵な家族だなぁ》って、今でも忘れられません。

 元気で頑張っていることを信じて、いつか何処かで再び逢える日が来るといいなと思っています。

 本当に、吹き出しに参加させていただき良かったと思いました。

 赤ちゃんからお年寄りまで恐ろしい悲しい経験をし、失ったものも大きいけれど、きっと得たものもたく

さんあると思います。 生き方も考え方も変わったという人も多くいるでしょう、私もその中の一人です。

 今は辛い思い出のほうが多いけれど、前以上に賑やかで素敵なそれぞれの町が一日も早く戻って来

ることを祈って、私も頑張りたいと思います。

 あれから三ヶ月が過ぎようとしていますが、サリン事件などで大地震の事を忘れようとしていませんか?

 悲しいかな人は、時が過ぎれば忘れようとするけれど、この大地震の事は絶対に忘れてはいけないと

思います。
ボランティアに参加して
                                   本 木 千 葉

 私はボランティアに参加して、いろんな人に出会えて、とてもうれしかったです。

 地震が起こって自分を守ることしかできなかった私は、父に「ボランティアをやってみないか」と言われ、

“自分しか守れない私が人を助けることなど出来るものが”と自分を疑いました。

 それに、“いきたくない”“めんどくさい”などの言い訳をして、なんとかその場を逃れようとしていました。

 だけど、その日、私は参加しました。 そして、いろんな人に出会いました。

 私と同じような年齢の方はいらっしゃらなくて、年上の人が多く、高校生の方や大人の方。

 私みたいに中学生の人は一人もいませんでした。

 私は、いろんなことを思いながらカレーの炊き出しを手伝っていたときだった。

一人の女の人が私のところへ来られて、「ありがとうね。これでみんなも喜ぶわー。」と言って下さった事

 を覚えています。 とてもうれしかったです。

 私も、もしも避難住民になっていたら、あの女の人のようにカレーをもらえたらうれしいだろうと思いまし

た。 だから“自分にプラスになることは、進んでやったらいいんだな”と思いました。

 これからも神戸は、頑張ってほしいです。 
がんばって
                               本 木 久美子

 1月17日 朝5時46分 激しい揺れで起こされました。

 これまで経験したことのない  揺れ  食器の割れる音

        棚からものが落ちる音  子供達の恐怖の声も‥‥

 一か所に集まり、地震が収まるのを待つことだけでした。これまでの地震とはかなり違っていたのです。

 テレビでは今までに見たことのない光景が映し出され、死亡者数も時間が経過するたびに増えていく。

 なんということでしょう。 この阪神大震災は、私に大きなショックを与えたのです。

 そんな時、主人から「ボランティアに参加しないか」と誘われ、私も“何かお手伝いができるのでは”と

 思い参加したのです。 

 ボランティアといっても初めて経験することなので、皆さんおご迷惑にならないよう、自分のできる範囲

でやろうと決めました。

 実際、被災地を訪れるとテレビの画面以上にひどい状態でした。

 うどんやカレーライスの炊き出しには、何十人もの人々の列ができ、口々に「ありがとう」「あったかくて

 とってもおいしい」e t c .と言ってくださり、そのことだけでも胸がいっぱいになり“やってよかったなあ”

 と思っているのです。

 もし、私たちがこんな目にあったら、やっぱり感謝することでしょう。

 まだまだ復興には時間が掛かるでしょうが、被災地の皆さん頑張って下さい。
ボランティアに参加してみて
                             本 木 敏 文

 テレビ、新聞誌面で震災の状況が報道されていたものの、自分としては「炬燵で丸くなり」コーヒー飲み

ながら、隣の市でも出来事は他人事ではないにしろ、画面から映し出されることに関しては、いわゆる、

カウチポテト風にしか眺められなかった。

 そのうち、義援金を送ろうか、それとも何かに参加しなければ、との声が私の心の中に高まって来た。

 そんなときである。

私の友人でもあり魚住ライオンズクラブの一員である浅井君より「ボランティアに参加しないか」との誘い

を受けたのである。聞くと「炊き出し」との事であった。

 カレー2000人分、うどん2000人分。

それを聞いただけで、何をどれだけ準備すればよいのか、裏方さんの苦労が偲ばれた。

 容器は、だしは、飯は、箸は、etc. 色々浮かんでは消え、ため息が漏れる。

 私が参加させてもらうのは初めてであるが、聞くと「炊き出し」は2回目とのこと、成功と失敗と経験が生

 かされていることであろう事。

 逆に2回目として気が付いていない点を私なりに模索する。

ゴミ袋はどうだろう、手袋は、ガムテープは、カッターは、カップはと細々とした事に気が走り出した。

 そして当日(日曜日)、11時待ち合わせ。

初めてお会いする顔。ボランティアに参加するという一つの気持ちがそうさすのか、すぐに打ち明ける。

 さて現場に着く。多くの人が手際よく食事の用意をして行く。

 ただ、事の流れの中で観察していて、感心するのみである。

 食事の列が乱れだした。”これだ”という自分の役割が見つかった様な気がした。 整列させなければ。

 食事を被災者の方に配る。暖かいものに飢えている人がここには多くいる。

 自分自身の幸せと、被災者の人の置かれている立場を照らし合わせる。逆の立場だったらどうだろう。

 手を合わせてありがとうと拝んで行く人、してもらって当たり前と考えている人、人それぞれの考えが

 伝わってくる。 私に人を批判することはできない。

 そうこうしているうちに4000食が売り切れる。

 一番印象に残ったのが、かたずけが始まったころ、老夫婦が手をつないで来られた。もうかたずいてし

 まっている。お断りをすると、一礼され丸くなった背中で寄り添って帰られた。その後ろ姿がさみしそう

であった事。

また、一人一人の力は微力だが、多くの人が集まれば大変なパワーとなる事。

 私自身ボランティアという言葉の意味に関して余り大層な考えはない。

 ただ、まずは声をかけること、呼びかけること、そして参加すること。

 被災者の人々ともさる事ながら、私自身参加してみて、多くの友人に巡り会えたこと、私自身生かされて

いること、多くの人と生きていること。

 これを今後の大きな財産として今以上に輪を広げて行けばと考えます。

 ありがとうございました。

 また、何かチャンスがあればチャレンジさせてください。 
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