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“今” 私にできること
  「人のやさしさ あたたかさに、涙しながら」   森 良美

「私も、被災者」恐怖の体験をした時から、私自身が持ってしまった意識のために、人にやさしくなれなか

った一週間・・・・。

「炊き出しにいくぞ」と、声をかけていただき参加させていただいた1月24日・・・

「一人でも多くの方に、温かい食事をしていただきたい・・」その思いだけで、ただひたすらに動いている

私に「あぁー、おいしいー、一週間ぶりに温かい物を口にしました。生き返ったような気がします。これで

元気が出ます。頑張れます。ごちそうさま。ありがとう」と私のような者に手を合わせ、深々と頭を下げ、

二度も三度もお礼を言われる方に「いいえ、“今”私に出来ることをさせていただいているだけなんです。

元気を出して下さいね」そう言いたいのだけど、涙で声にならない・・・。「ばぁさんが熱を出して寝込んで

しまってなぁ、二人分もらってええかなぁ」遠慮しながら聞かれるおじいさんに「どうぞ奥様の分も御持ち

下さいね。おだいじに」「有難う、これで、ばぁさんも元気になるやろ、ありがとう、また来てな」こんな会

話をしながら、涙が溢れて止まらなかった・・・・・。

「私も被災者・・・」そんな意識を持っていた自分が、とても恥ずかしく愚かに思え、被災者でありながら、

人をおもいやる心を忘れない、優しさ、温かさに触れ合えたことに感動し、私の心が洗われる思いがした

最初の日。

あの日以来、炊き出しをさせていただけることを、とても幸せに感じながら、活動をさせていただきました。

震災から一ヶ月が過ぎ、肉体的にも精神的にも限界に達し、目も虚ろで立っているのがやっと・・・まった

く気力を無くしてしまった人に触れ、悲しみの涙が溢れます。避難所の中で、元気に走り回って遊んでい

る子供達の何と無邪気な姿を目にし、嬉し涙が溢れます。

全てを失いながらも震災に遭ったことを引きずるのではなく、厳しい状況の中でも自分を見失わずに、

やさしさをいっぱい持ち明日に向かって強く生きている人に出会い、触れ合うなかで、その“こころ”が見

え、ささいな事にも感動の涙が溢れます。

どの避難所を訪ねても、自分を犠牲にしてまでも救援活動を続け、惜しみなく黙々と働くボランティアの

方々の姿に、心打たれ、頭が下がり、感謝の涙が溢れます。 

寒空の下、多くの方々がテント生活をされている須磨区役所前を、初めて訪ねた日から、私の人生観は

大きく変わりました。

今までは当たり前だと思ってきた生活が随分贅沢に思え、これからは物の豊かさではなく、もっともっと

心の豊かさ、心のぬくもり、心のやすらぎを大切にしなければということに気付き、今一度自分を見つめ

直して生きなければと考えさせられました。

魚住ライオンズクラブの皆様方と共に活動させていただく中で、心のぬくもりを持った人のまわりに人が

集まり、支え合う人の回りに人の輪が出来、人は人の中で生かされているということを実感させていた

だきました。 

今回の活動に携わらせていただいたことを通して、私が被災者の方々にしてあげられたことより、被災者

の方々から、そして一緒に活動された皆様方に教えられたことの方がはるかに多かったことに気付きま

した。 

これからは無理に相手の心に踏み込んだり、押し付けたりして相手の心を引き出すのではなく、そばに

一緒にいるだけで安心感を自然に与えることが出来る存在になりたい。

そうなれるように自分を磨いていきたいと思いました。 そのために、これからも、もっともっと多くの人々

と出会い、触れ合って沢山のもとに気付いていきたい。

      『 “今”私にできること 』 を見つめながら・・・・・

終わりになりましたが、魚住ライオンズクラブ の皆様方のエネルギッシュでパワフルな組織の中で、

共に活動させていただきながら、有形、無形の体験を通して、多くのことに気付かせていただけたことを

心から感謝申し上げます。 有難うございました。

魚住ライオンズクラブの皆様方のご健勝と、益々のご発展をお祈り申し上げます。  
   兵庫県南部地震によせて      明石魚住LC 理事 中川 哲

平成7年1月17日午前5時46分。 いつもの起床時間である。

心地よい眠りから覚める筈だったが、その日は思いもよらず、震度8とも言われた兵庫県南部地震の

蹂躙と殺戮の幕開きによってたたき起された。 

何がなんだか分からないまま、ただ呆然としていた。

やっと電灯が灯りテレビに映し出された神戸の惨状を一目見て、吾と我が目を疑わずにはおれなかった。

後生大事に汲み溜めた水で口を漱ぎ、顔を洗い、それを捨てずにトイレ用水としておくといった、第二次

大戦直後の様な生活を思い出しながらの日々だった。  

神戸に住む友人達から、聞くに堪えない痛ましい地獄絵図の有様が次々と伝わって来た。  

335A地区4R3Z明石魚住ライオンズクラブは被災者救援に立ち上がった。 

すぐさま緊急理事会が召集され、早速1月24日、マリスト国際学校を皮切りに、夜を徹して家を失った方々

への炊き出し奉仕活動が始まった。

クラブメンバーは元より共に参加していただいた地域住民、青少年の方々は一丸となって一つの目標に

向かって骨身を惜しまず活動した。

「少しでもお役に立てたら」この心を持って賢明に動いている姿は、元来人間の“人につくす”可くして内

蔵された痛快な部分を巧む事なく如実に物語っていた。  

然しながら、我々は、我々の行った救援活動が、被災者の物心両面にわたり受けられた大きな傷の何

百分の一を癒すことが出来ただろうか?と考え、うぬぼれる事なく、じっくり見極めていかなくてはならない。 
    生きる勇気を       
                                  明石魚住LC 増田 智

大震災のニュースは、瞬時にして全世界に広がった。

ライオンズクラブを通じても、大量に救援物資、義援金などが世界各国から寄せられた。 

本当にありがたいことです。

我々魚住LCのクラブ員も自宅などの被害も顧みず、被災地へ再々炊き出しに出かけていった。 

道が道でなくなった様な所を縫うようにして通り、目指す避難所へ。  

道具、機材はもちろんのこと、帽子、マスク、調理用手袋と衛生面までの気配りである。

雪も降るものなら、ほかほかカイロまで・・・・・万全の備えである。  

三度、四度と回を重ねるたびに抜け目のない連係プレー、全員の手足が一秒たりとも止まる事なく動き

続けていた。 

全員一丸となって被災された方々に、少しでも早く温かいものを口にしていただこうと一生懸命だった。 

また、避難所で勇壮な和太鼓の演奏を聴いていただいたりもした。 

少しでも勇気づけになれれば、少しでも慰めになれれば、との気持ちでいっぱいでした。 

一日終えて帰ると、確かに疲れはしたが気持ちに疲れは無かった。 

甚大な被害を受け、今までガス、水道、電気があって当たり前、無くなって初めて当たり前の生活の有

難さ、自然の力を思い知らされた人達。  

一日も早い復興のために、この経験を土台にして、生きていくために全ての知恵を出し合い、もてる全て

の力を発揮し、この未曾有の事態に立ち向かう勇気を出して頑張ってほしい。  

そして、自分の回りの人達のお陰で生かされているということを再確認し、感謝しながら、共に生きている

という喜びを分かち合いたい。
 炊き出しを終えて      

                            明石魚住LC ガス及び炊飯担当 堀井 義孝

1月24日から、5回にわたり1万7千食あまりの炊き出しを終え、振り返って見ると様々なことが思い起こ

され、この経験を通じて自分自身、いろんな勉強をさせてもらったと思う。

第一に、何事も『やらねば』と、思う気持ちを持つことが大切である。

水も、電気も、ガスも、何も無い被災地での炊き出しで、火急のこととは言え細部にわたる打ち合わせ

も満足にせずに、一回に何千食もの温かい食事を提供できたのは、メンバー一人一人が『やらねばなら

ない』と言う気持ちで、各々が気が付く限りの準備をしてきた成果だと思う。  

給水タンク、発電機、投光器、屋外用暖房機、給湯機、丈夫で大きなゴミ袋、ラップ、調理用手袋、軍手、

ホカロン、マスク、紙コップ、のど飴、等々。

必要とされるものを一声上げると「はい、ありますよ」という調子である。 

第二に人の輪の偉大な力である。

ライオンズクラブが救援活動を行ったことによって『何かしてあげたい』と思う地域ボランティアの方々が

参加でき、確実に魚住地区に奉仕の輪が広がったことである。 

毎回、参加者が増えていき、避難所の人々が「こんなにたくさんの人が私達のために」と喜んでおられた。

多くの一生懸命作業している姿に、被災者の方々が幾ばくかの安心感を抱いていただいたのであろう。

“人が人を助ける”と言うことを実感した。  

炊き出しは終えたが、救援活動は始まったばかりである。 

魚住ライオンズクラブとして、一日も早く、3〜5年の長いサイトでの救援活動方針を決めるべきだと考える。
炊き出しに参加して     

                             明石魚住LC  三宅 俊之

1月24日、クラブ最初の炊き出しに参加。  

給水タンク3個を積んだ4tトラックで、他のメンバーの車数台と出発する。

国道2号線を東へ、舞子の明石海峡大橋の巨大なコンクリート土台の横を通過する。

淡路側では土台が西へずれているらしい。

垂水から塩屋そして須磨の駅前に到着、目の前に広がり無残な町並みに愕然としてしまう。

1月17日震災の日の夜に実家のある長田区へ行き、家が倒れ、道路がひび割れしている様は見ていま

したが、昼間に見る景色に改めて地震の被害の大きさを思い知らされました。 

マリスト国際学校の校庭に車に乗り入れ、早々にうどんの炊き出しの準備を始める。

手際よくコンロ、ずん胴鍋、容器などを配置するクラブ員の段取りのよさに感心しながら、給水作業を開

始する。

ポリタンク、ポリバケツに給水して行くが、他の場所での給水予定もあったので、後ろ髪を引かれる思い

で次の予定地へ移動する。

水道の復旧には、その後1〜2ヵ月を要し、私は同じ場所への給水には行けませんでしたが、ほんの一

瞬でも役に立てたと思います。

今回の活動で私にとって一番印象に残ったのは須磨区役所前の公園での活動でした。 
 
薄暗い公園の中からポリタンク、ペットボトル、子供は水筒まで持って、水を求めて出て来られた。

給水していると、その小さな子供が『お母さん、おなかがすいた、寒いよ〜』その時、共に活動していた

L久寿米木はそれを聞き、携帯電話で北須磨小学校で活動中の炊き出し班に、この公園の状態を泣き

ながら報告し、何とかここにいる子供達だけにでも温かいうどんを食べさせてやってほしいと炊き出しを

追加依頼した。

車のラジオをかけっぱなしにしていたら、10分後にはAM神戸から『今から明石魚住ライオンズクラブが

須磨区役所前公園で炊き出しを行います。近くに避難されている方、どうぞ行ってください』とのアナウン

サーの声が飛び込んできました。

さすがに段取りの良い我がメンバーと感心しているうちに、班を二分して駆けつけ炊き出しを開始してい

ました。

ブルーシートを張っただけの粗末なテントでの避難生活は見るに忍びないものでした。

しかし、生きていただけでも幸せと思わなければ成らないくらい、大きな、強い地震だったのです。

私は高校時代にこの公園の横を通って通学しておりました。 

まさか、まさかこの公園に避難生活者のために炊き出しに訪れる様な事になるなんて思いもよりません

でした。一日も早く、非難されている方々がこの街に住めるようになり、元の静かな公園が戻ることを祈り、

またの機会に活動にも参加したいと思います。
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