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            こ こ ろ (HEART)
                                    1年1組1番  赤尾 聡

 僕は、あの大地震が起きた数日後から“何かできることはないか”と思っていましたが、家、仕事場の

片付け、緊急の仕事等におわれて何もできないままちょうど一ケ月がたった

2月17日、久寿米木建設の社長に「19日に炊き出しにいくから、一緒に行くか?」と言われお供をさせ

ていただき神戸に行きました。

 そこで感じたこと思ったこといろいろありましたが、その中で一番心にのこったできごとを紹介させてい

ただきます。

 あれは、須唐区役所前公園で炊き出しをした時の事です。

 なんせ新人ですから、もともと何をしたらいいのかわからないうえに、ひと段落して本当に何もすること

がなく、ポケットに手を突っ込んで、被災者達が並んでいる所にボツボツと歩いて行くと、ちょうど自分の

子供と同じくらいの子供が二人、ダンボールの箱をテーブルにして、地べたに座ってうどんを食べていま

した。 なんとなく人事とは思えず声をかけてしまいました。 『おい、ボクうまいか?』

『うん うまい。あんまり何も食べてへんからうまい。』『そうか、ほなようけくえ』『うん』『それ全部くうても

たらおっちゃんカレーもうてきたるわ』『うん』『おかあちゃんは?』『あっちにおる。もうちょっとしたらくる』

『そうか〜 おい、おはぎくうか?』『おはぎゆうて何や』『おはぎゆうたらお前、こんなまんじゅうみたいな

やつにあんこがついたやつや』『うん くうわ』そして、おはぎを二つもってきて『ボク、何年や』『3年』『3

年ゆうたら、おっちゃんの子供といっしょやな』『えっ、ほんま どないゆう名前?』『ゆたか』『○○小学校

?』『いや、ちゃうねん、おっちゃん明石からきとんねん。そやから知らんわ』『ふ〜ん』『ボク、弟か、何年

や?』おにいちゃんが『今度1年になるねん』『今度1年やったら幼稚園いっとんか?』『幼稚園いってへ

んけど今度1年になんねん。今度1年やったら幼稚園や』うちのガキといっしょで何を訳のわからん事言

うとんねんと思いながらお兄ちゃんに『もう学校いきよるんか』『うん、おとといからや』そうか、小学校が

おとといからなら幼稚園はまだやなと思いました。

 訳のわからん事いっとるんとちゃうわ子供の言う事のほうがあたっとるわ。

 そうこう話をしているうちに、弟が先に食べてしまい『こら兄貴、早よ食わんかえ。

弟のほうが早いやないか』と言うと左手で食べにくそうに食べ始めました。

『お前左利きか』『ううん、右利きや』『ほんなら、いちびっとらんと右手ではよ食わんかい』『右手の骨折

れてるから食べられへん』この時、悪い事言うてもたと思い、少しの間言葉が出ませんでした。 『そうか

 地震でか』『うん』かわいそうな事言ってしまったので、次に何を話したらいいかわからなくなり⊥その

場を離れました。

 でも何か言ったらなあかん、勇気づけたらなあかんと思いながら、どうしたらいいか答えが出ないまま、

また戻ると子供達のお母さんがきていました。

ボクより少し若いかな?お母さんが『うどんもらったん、よかったな』お兄ちゃん『お母さんももらったら』

『ううん お母さんはええねん。あんたらようけ食ベ』この会話を聞いてさっきの失言のお詫びはこれしか

ないと思い、『あっボクもってきてあげるわ』 『いえ、いいんです』『遠慮せんでもええやん、いっぱいある

から』と言いうどんをもっていくと、2回も、3回も、4回も『すみません、ありがとう、どうもすみません』と言

うんです。

それから、そのお母さんがうどんを食べているときに、偶然おじいさんとおばあさんが通りかかり、『何や、

お前らこんなとこにおったんか。今から行こおもとったんや』さっきは遠慮していたお母さんが親のことを

思い、『おとうさんらもうどんいただいたら』『いや、わしらはええ』‥‥ ボクはまた、うどんをもっていきま

した。そしたらまた何回も『すみません、ありがとう』の連発です。

 まあ、悪い言い方かもしれませんが、“うちら被災者や、もろて当然や”という態度の人も数々いる中で、

この謙虚な姿にボクのほうが気の毒になり、照れくさかったです。

 そうこうしているうちに子供達は食べ終わり、ポロポロのサッカーボールをけって遊んでいたので『おい、

Jリーグボーイおっちゃんとサッカーしよか』と言って遊んでやったら、ほんと現在の生活の事、骨折した

右手の事等、忘れたようにうれしそうにしていました。

 そのうれしそうな顛を見て、もし、この子供達が自分の子供やったら‥‥もし、このお母さんが自分の

嫁さんやったら・・と思うと、地震の怖さと、何かすごくいいことしているという気持ちと、こんなことぐらいし

か出来ないのかという自分の無力さとが、入り交じって何か「グッ」ときてしまいました。

 何分かが過ぎ、この親子が帰るときに、また、お礼を言われたので『いや、ボクも同じくらいの子供が

おるから』と言うと、しばらくしてから『今もらったばかりのものですけど、子供さんにもって帰ってください』

と、パンを差し出され『いや、いや、ボクは家に帰ったら何でもあるから』と言ってもらいませんでした。

 今、自分がこういう目にあっているのに、人のことかまっている暇もゆとりもないゃろに‥自分の子供

と同じように、他人の子供のことを思いやる、そのお母さんに人間としての気持ち(HEART)を感じました。

  ボクらの年代は、よく「ほんま今の若い者は‥‥」と言われた年代ですが、

         気が付けば、時は人を大人にしてくれていました。

 最後に 『おっちゃん、パイパイ』 『おう、ガンバレよ。はよ4年と1年になれよ』と今度は

ボクが、当たり前の、訳のわからん事を言って別れました。

 なぜか、これくらいしか言葉が出てきませんでした。
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