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台湾大地震 災害対策合同特別委員会 |
4クラブ合同委員会台湾南投県へ7名派遣! |
南投県立南投国民中学校へ仮設トイレ50棟組み立て設置に7名を派遣した |
台中市内で倒壊したマンション |
組み立て作業始める |
真夏日のような暑さでした |
チームワークはバッチリ |
老体?に鞭打つL山腰 |
完成した仮設トイレ |
10月19日 関西空港より台湾へ。 到着後ライオンズクラブ300複合地区国際関係委員長L 荘 以下5名の出迎えを受けた。 台北市内のホテルまでの車中、L荘と経過と明日からの行動打ち合わせ。ホテル到着後すぐに倒壊した「松山ホテ ル」を取材。 台中市内は地震の爪跡は全くなくこのホテルだけが倒壊・・・・。 20日 8時40分発高雄行きの特急で台中へ。 道中目を皿のようにして建物を見るが被害を受けた様子は無い。 台中駅では300C1地区ガバナー以下役員の出迎えを受けホテルにて会談。 現地行政区環境保護署の方3名と仮設トイレの設置場所、南投県南投市へ。 台中から車で1時間ばかり走るとさすがに震源地に近いことを伺わせる風景に。あちらこちらで全半壊した建物が 見えてきた。 目的地南投国民中学校へ到着。校門の前に公園があるがそこは避難民のテントでいっぱい。 前の道路に我々が送った仮設トイレがコンテナから降ろされ積まれておりフォークリフトで校内に運ばれていた。 ここは校舎のほとんどが使用不能、生徒たちは校庭や中庭に設けられたテントの教室で授業を受けていた。 生徒数2850名(地震で一人死亡)教師数149名の規模の中学校でありテントでの授業はさぞかし暑いと想像される。 さっそく組立作業にかかる。現地のメンテナンス業者も来ており、提供会社(有)共同衛生社の社員2名が通訳をまじ え組み立て方法を指導しながらの作業であった。 授業の休憩時間になると多くの生徒たちが作業を見に来てジェスチャーと筆談で交流。 真夏日のような暑さの中の作業であったが生徒たちの笑顔が唯一の救いであった。 校長先生が見えられ話の中で「物資で必要な物はすべてある。ただトイレだけは不足しており衛生状態が悪く、非常 によろこんでいる」とのこと。作業の合間に壊れた校舎を見て回ったが柱が細く素人目に見てもセメントの量が少ない ようにみえた。阪神淡路大震災のときは学校、公共施設が避難所になったが、こちらでは多くの学校公共施設が 倒壊しており避難民はテント生活を余儀なくされている。我々は学校は地域の中心でありもっとも安全な場所でな ければならないと校長に伝えた。 帰り際に多くの生徒に囲まれ感謝の言葉をいただきお礼の手紙を書くから住所を教えてという女生徒も現れた。 しばらく交歓したあと学校を後にして震源地に近い集集という街へ。 道路はあちこちで被害を受けていたがすでに補修されており順調に集集へ。 倒壊した建物はすでに撤去が終わっており空き地となって人影はまばらであったが町役場の前に行くと各種ボラン ティアのテントが並びそこだけが賑わいを見せていた。 市長の案内で仮設住宅建設現場へいくと、前の道路には被災者の心を癒すようかにイルミネイションが灯っていた。 とっくに日が落ちていたがそこには建設を急ぐ作業員がたくさんいた。 またすぐ近くに全壊した街のシンボル「武昌宮」をそのまま残しメモリアルパークにしたいとの市長談。 21日 帰国。 トイレを寄贈していただいた(有)共同衛生社の社員のお二人は 「はじめてボランティアをしましたがこんなに感動 あるものとは知りませんでした。これからは私たちもボランティアに取り組んでいきます」 とのことでした。 鳥取からの輸送、コンテナ詰め、通関手続き、台湾側との折衝等さまざまな業務をさせていただき、善意をお届け するお手伝いをさせていただいたこと、また一緒に台湾まで出向き組み立て設置をさせていただけたこと、本当に ありがとうございました。 また、インターネットを通じて大阪帝塚山LC・気高LC・明石二見LC・明石魚住LCが所属地区を越えて共にアクテ ィビティが出来ましたことにこれからのライオンズクラブの新しい奉仕の形態が生まれたように感じます。 335−A地区インターネット委員長 橋本維久夫 |
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*大阪にある団体から阪神淡路の経験を生かしたこれから台湾に建設される仮設住宅への 生活必需品の提供申しであり、11月中ごろに発送予定。 |
台中日本人学校卒業生から送られてきた画像です。 台中日本人学校も大きな被害を受け、使用不能との情報です。 | |